「神との対話3」の読書会にて。
(サンマール出版・ニールドナルド・ウォルシュ著)
毎週月曜日の夜に「神とに対話3」の読書会に参加しています。
そして今日火曜日、仕事から帰ってきて「ザ・サード・ジーザス」
(ディーパック・チョプラ著)という本を読みました。
どちらも読みかけ。
少しづつ読み進めています。
昨日と今日、違う本を読んだのに、読み始めにでてきた言葉は同じ言葉でした。
その言葉は・・・
「自分は何者か」
どんな本にも正解は書いてありません。
書いてあるのは「どう生きるか?」という問いかけがあるだけです。
なぜ答えが書いてないのか?
答えは自分の内側にしかないからです。
100人いれば、100人の答えがあります。
「神様とはこういうもの」と決めているのも自分です。
「どうせ、私の人生なんてこんなものだ」
と自分をイメージしていれば
「どうせ、自分の人生なんてこんなものだ」
という人生になっていきます。
全ては自分が創り上げていった通りの人生を歩むことができます。
だから、神さまは私たちに使命なんてものは与えていません。
わたしたちは自由に選べます。
唯一選べないもの。
それは
望む望まないに限らず、
私たちは自分が思った以上の自分にも以下の自分にもなれないことです。
わたしは
「何者か?」⇒「変わり続けるエネルギー」
「何を創造しますか?」⇒「真理」
「神とは?」⇒「宇宙全てのエネルギー」
あなたは
「何者ですか?」
「あなたは何を創造しますか?」
「あなたの神とはどういうものですか?」
「なりたい自分」がいるのなら、「なった自分」をイメージし
やり続けるだけです。
私は何をやるか?
自分に「おはよう」と語り
自分に「喜び」を感じ
自分に「泣いてもいいよ」と許し
自分に「怒ってしまっても」許し
自分に「落ち込んでもいい」と語りかけづづけます。
自分に「喜び」を感じられないのなら、他の人にも「喜び」は与えられない。
自分を「許せない」のなら他の人も「許すことはできない。」
自分に行うことは、自分以外の人へ行うことと同じことだとわかったから。
あなたは、何をやりつづけますか?
やるか、やらないか?
全て自分で選択できます。

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