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第5回 自我状態の機能的モデル
CP「支配的親」、NP、「養育的親」 、A「成人」
自我状態が行動にどんな風に現れるかを示すために自我状態を分類したものが機能的モデルですが、今回は自我状態のP「親」:CP「支配的親」、NP、「養育的親」、A「成人」
1. CP「支配的親」、NP「養育的親」
P「親」の自我状態にいるとき、私たちは親や親的役割を果たした人の考え、感情、ふるまいを再現しています。
たとえば
子供の頃に、親が子供に「左右を確認して横断歩道を渡りなさい」とか「使ったものは片づけなさい」というように「・・・・しなさい」や「・・・しなければならない」等、指示や命令を受け成長し、大人になった私たちは「横断歩道を渡るとき左右を確認して渡り」、「使ったものは片づける」というように、意識することなく行動しています。
そして横断歩道を左右確認せずに渡る人を見ると「危ないなあ」と批判し、使ったものを片付けない人がいると「片付けることもできないの」と批判する場合があります。
このように親等が行った批判的な反応をしているとき、CP「支配的親」の自我状態にいます。
また、子供の頃に親は、歯を磨いてくれたり、熱を出したとき看病してくれたり、添い寝をしてくれました。
そして親になったとき、子供の歯を磨いたり、熱を出したとき看病したり、添い寝をしたりします。
このように親が行ってくれた、やさしい、思いやりのある反応をしているとき、私たちは、NP「養育的親」の自我状態にいます。
2. ポジティブな「支配的親」、ネガティブな「支配的親」
CP「支配的親」の命令が、本心から相手の幸せを思っての考えや言動であった場合、ポジティブな「支配的親」といいます。
たとえば
「バランスよい食事をとらないといけない」とか「飲みすぎはいけない」等と妻から注意をされた場合、その妻は幼い頃、親に「おかしの食べ過ぎは身体に良くないからいけない」と、親から受け取ったポジティブな「支配的親」を再演しています。
一方
CP「支配的親」の命令が人を値引きするような考えや言動であった場合、ネガティブな「支配的親」といいます。
「同じ間違いを何回もしないで」と怒って、イライラしている人がいる場合、その人は自分が幼かった頃に「何回も同じことを言わせないで」と親が怒りイライラしていた、ネガティブな「支配的親」を再演している可能性があります。
3. ポジティブな「養育的親」、ネガティブな「養育的親」
NP「養育的親」の優しさが、自分に気を向けるためではなく、本心から相手を思っての考えや言動であった場合、ポジティブな「養育的親」といいます。
たとえば
道で困っている人を見かけ、「私にお手伝いできることがありますか」と尋ねる場合があります。
そのとき自分が幼かった頃、宿題をしていたときに「何かわからない問題があったら、一緒に考えようね」と親や塾の先生に言われたことの再演をしているかもしれません。
一方
NP「養育的親」の優しさが、「私がいないと何もできないのだから手伝ってあげよう」等、相手の自主性を奪っている場合、ネガティブな「養育的親」といいます。
この場合、手伝ってあげる人は、手伝ってもらう人より優位の立場にいるように感じ、振る舞い、相手を値引いています。
たとえば、あなたでは能力的に難しいと思い、「手伝います」と声をかけ、相手が頼む前に自分がやってあげる場合等です。
4. A「成人」
機能的モデルで、A「成人」は、分割して考えません。
「今、ここ」の状況に対して、大人としての資源を総動員しての判断、反応である場合、私たちはA「成人」の自我状態にいます。
A「成人」の自我状態にいるとき、「今・ここ」の思考、感情、行動を使うことができます。
たとえば
約束の時間に遅れそうなとき、相手に遅れる旨の連絡を入れ、「何分ほど遅れます」と伝えることはA「成人」の自我状態からの行動です。
5.まとめ
ポジティブな「支配的親」、ネガティブな「支配的親」、ポジティブな「養育的親」、ネガティブな「養育的親」は、A「成人」が機能しているかどうかで分かれます。
A「成人」が機能しているか、していないかということは、とても重要なのです。
CP「批判的親」の自我状態から、「もっとがんばらなければいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」等自分を責め続け、AC「順応した子供」で自分の欲求をおさえ、CP「批判的親」の欲求に答えつづけていると、やがて身体や心が悲鳴を上げ、うつ状態になる場合があります。
自分が今、ポジティブな「支配的親」、ネガティブな「支配的親」、ポジティブな「養育的親」、ネガティブな「養育的親」、ポジティブな「順応した子ども」、ネガティブな「順応した子ども」、ポジティブな「自由な子ども」、ネガティブな「自由な子ども」等、どの立場から自分や他人に対して接しているか、感じているかを意識することは、自分の変化の手がかりとなります。
参考文献 「TA TODAY」 イアン・スチュアート、ヴァン・ジョインズ 著
「交流分析にもどづくカウンセリング」 倉成宣佳 著
ブログを始めた今の私がそうです。
何がわからないのかがわからない。
ブログを書いていて、分からない記号が気になり、調べて、調べても説明されているインターネット用語がわからず、またその用語を調べる。
知らないことが多すぎて、ネット世界から取り残されていることにショックを受け、「まずはネット用語から身に着けないといけないのかなあ」と今度はネット用語を夜な夜な調べる日々。
そして
昨日、読書会に参加後の「おしゃべりの会(勝手に命名)」で、サーバとかドメインとかHTMLとか知らないことだらけで、そういうのを調べてだしたら、全然ブログが書けないと話していたら、
「ブログを書くだけじゃダメなの?」との質問が。
それから
家に変えって、頭に浮かんだコトバ
「木を見て森をみず」
そっか!
私がブログを始めたきっかけは、そもそも「心理学を学ぶことで誰かの生きやすくなる手がかりになればいいなあ」という思いから始めたわけで・・・
WEBデザイナーになろうとしているわけでもないのに。
よく私がやってしまいがちな、細部に気をとられて、本来の目的から脱線していることに気づきました。
わからないことは、納得いくまで調べないと気が済まない私は、交流分析の拮抗禁止令の中の「完全であれ」という自分の意識もしていない命令で行動しています。
拮抗禁止令というのは
簡単に言うと、幼いころ親などから繰り返し言われ、やがてその言葉が自分の内からの声になり、大人になっても自分を駆り立てているものです。
たとえば
幼い頃、「何でもきちんと自分でしなさい」と親等から繰り返し言われ、「何でもきちんとしない自分はダメだ」というメッセージが自分の内側に記憶され、やがてその言葉が自分の内からの声になり、それが今の日々の生活の行動パターンとなっています。
言い方をかえると
「きちんと完全にやっている自分はOK」なのです。
これが一生懸命やれなくなったとき、完全にできなくなったとき、自分の内なる声が自分を攻撃してきます。
「完全でないわたしではOKじゃない」と自分の内なる声が言ってくるのです。
この拮抗禁止令を緩めていく方法
「ありのままのわたしで大丈夫だよ」
「疲れたら休んでもいいよ」
と自分に語りかけています。
でも、今まで自分でも気づかずに長年にわたって従っていた命令はなかなか手ごわく、まだ私の中に大きく居座ってくれています。(私の長所でもあり、短所です)
気長に気楽に少しづつ続けていくしかないです。
続けることで
拮抗禁止令に縛られない自分へ!
そして拮抗禁止令に支配されない自分へ!
楽しみです(^^♪
拮抗禁止令は「完全であれ」の他に「一生懸命努力せよ」、「他人を喜ばせろ」、「強くあれ」、「急げ」と全部で5つの親等から言われて受け取ったもの(言語的な方法)があります。
この拮抗禁止令は、※「禁止令」が直接きこえないように隠すものとしての役割も果たしています。
※禁止令
人の人生に大きなネガティブな影響を与えるものに「禁止令」というものがあります。
「禁止令」は13つあり、親の態度や行動(非言語的な方法)で受け取ったものです。
「拮抗禁止令」と「禁止令」の詳しい内容は、ぼちぼち改めて説明していきます。
自我状態の機能的モデル
1.機能的モデルとは?
自我状態P「親」をCP「支配的親」、NP、「養育的親」に分割、A「成人」、C「子ども」をAC「順応した子ども」、FC「自由な子供」に分割し、自我状態が行動にどんな風に現れるかを示すために自我状態を分類したものが機能的モデルです。
自分がどの自我状態から行動しているのかを知ることは、自分を知る第一歩になります。
第4回ではC「子ども」:AC「順応した子ども」、FC「自由な子供」について説明します。
2. AC「順応した子ども」、FC「自由な子供」
C「子ども」の自我状態にいるとき、私たちは子供の頃の考え、感情、ふるまいを再演しています。
私たちは子供の頃に親等から社会で生きていくためのルールを学んできました。
たとえば、私の場合、人に会ったら元気がないときでも笑顔で挨拶するほうが人から好かれるとか、母親が怒ったときには、自分の意見は言わないほうがお母さんの怒りが早く沈むので、怒られている間はじっと我慢するとかいうことを無意識に学びました。
そして大人になっても私は、体調が悪いときでも、笑顔で挨拶をしますし、機嫌が悪い上司が近くにいるときはおとなしく静かになります。
これらの行動をしているとき、私はAC「順応した子ども」の自我状態にいます。
反対に、私は子供の頃に、母親が怒ったときに、聞こえないふりをして反抗したこきもあります。
そして大人になった私は、上司の機嫌が悪いとき、その上司を無視するときがあります。
この反抗しているときも使っている感情は自然な感情ではなく、押さえつけられた感情の代わりに使っている不自然な感情であるので、交流分析では反抗しているときに使っている感情もAC「順応した子ども」に分類されます。
一方で
子供の頃、私たちは自分が望むように行動するときもありました。
たとえば、私の場合、外で鬼ごっこをしたり、家の中でかくれんぼをしたり、お友達とおしゃべりしたりするのが大好きでした。
そして大人になった私は、散歩を楽しんでいるし、お友達とおしゃべりするのが大好きです。
これらの行動をしているとき、私はFC「自由な子供」の自我状態にいます。
3. ポジティブな「順応した子ども」、ネガティブな「順応した子ども」
私たちは買い物をするとき、混んでいるときはレジに並び会計を待ちますし、人に何かして頂いたときは「ありがとうございます」と伝えます。
このような行動は、子どもの頃、親等から教えてもらったり、親の行動をみて無意識に習得しています。
このように社会の常識、礼儀を再演し、社会生活をスムーズに送ることができる「順応した子ども」をポジティブな「順応した子ども」といいます。
一方
子供の頃に母親からお手伝いを頼まれて、「イヤだ」と言ったらすごく叱られたとか、自分が欲しいものを欲しいと言ったら、「お姉ちゃんなんだから譲りなさい」と叱られた体験がある場合、「頼まって断ったらひどい目にあう」とか、「欲しいものを欲しいを言ってはいけない」ということを学んだ可能性があります。
そうすると大人になっても「頼まれたら自分がしたくないことでも断ることができない」とか、「自分が欲しいものを他人に譲ってしまう」とか、大人の私たちにはすでに役に立たなくなった子供の頃の行動を再演しているときがあります。このような場合ネガティブな「順応した子ども」にいるといいます。
4.ポジティブな「自由な子ども」とネガティヴな「自由な子ども」
2.の「自由な子ども」で説明したように散歩をしたり、おしゃべりをしたり等、自分が望むように行動するとき、私たちはポジティブな「自由な子ども」にいます。
一方で、「会議中に鼻をかむ、雑談をはじめる」という行為は、会社の中で自分の居心地を悪くする要因となりかねません。このような場合、ネガティブな「自由な子ども」の行動といいます。
5.まとめ
大人の私たちにはすでに役に立たなくなった子供の頃の行動の再演に気づき、「今・ここ」の最適な自我状態に変えることで、自分の人生を自分の意志で選択できるようになります。
次回は自我状態P「親」:CP「支配的親」、NP、「養育的親」、A「成人」について書いていきます。
参考文献 「TA TODAY」 イアン・スチュアート、ヴァン・ジョインズ 著
小さき頃から、「宿題、塾、お稽古、部活」と自分で考えることなく、親や先生から言われた「やらないといけない」ことをやりつづけて、社会人となった私は、自分で考えることなく、誰かが言っていたこと、聞いたことを自分で考えたことだと勘違いして、ただ、目の前の「やらなけらばならないこと」に追われつづけ、「自分のやりたいこと」がわかりませんでした。
「やらなければならない」ことだらけだった私は、「何かをやらなければならない」と悩み、「やらなければならないことがわからなくなったとき、何のために生きているのだろう?」と悩んでいた時期がありました。
でもあるとき
そもそも「生きるのに意味なんて必要?」っていう疑問が・・・
わたしはわたし
ペンはペン。
パイナップルはパイナップル。
アップルはアップル。(ピコッ)
10ヵ月になる姪っ子に、「出かけるよ」って言うと「バイバイ」と手をふるようになました。「すごーい。頭いいなあ、この子は」とおじいちゃん、おばあちゃん、おばちゃんからすごくほめられています。
そんな姪を見ながら
ただそこにいるだけで、みんなが笑顔になる、とても愛されているのがわかります。
大人になった私たちも、ただそこに大切な人たちがいるだけで笑顔になります。
私たちも「ただそこにいるだけでだれかを笑顔にする存在だった」と赤ちゃんから教えてもらいました。
「生きる」ってホントシンプルなことだった!!