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小さき頃から、「宿題、塾、お稽古、部活」と自分で考えることなく、親や先生から言われた「やらないといけない」ことをやりつづけて、社会人となった私は、自分で考えることなく、誰かが言っていたこと、聞いたことを自分で考えたことだと勘違いして、ただ、目の前の「やらなけらばならないこと」に追われつづけ、「自分のやりたいこと」がわかりませんでした。
「やらなければならない」ことだらけだった私は、「何かをやらなければならない」と悩み、「やらなければならないことがわからなくなったとき、何のために生きているのだろう?」と悩んでいた時期がありました。
でもあるとき
そもそも「生きるのに意味なんて必要?」っていう疑問が・・・
わたしはわたし
ペンはペン。
パイナップルはパイナップル。
アップルはアップル。(ピコッ)
10ヵ月になる姪っ子に、「出かけるよ」って言うと「バイバイ」と手をふるようになました。「すごーい。頭いいなあ、この子は」とおじいちゃん、おばあちゃん、おばちゃんからすごくほめられています。
そんな姪を見ながら
ただそこにいるだけで、みんなが笑顔になる、とても愛されているのがわかります。
大人になった私たちも、ただそこに大切な人たちがいるだけで笑顔になります。
私たちも「ただそこにいるだけでだれかを笑顔にする存在だった」と赤ちゃんから教えてもらいました。
「生きる」ってホントシンプルなことだった!!
何が幸せかなのかわかってなく、「ただ幸せになりたい」と漠然と
思いを巡らせていた頃、いろいろな本を読みながら、
「こんな普通のことを幸せだと思えるか!」と皮肉れていた
7年程前に「幸せを数えたら、すぐ幸せになる」と目にした私。
たとえ競馬が外れてもですよ。
「幸せを数えたら、すぐ幸せになる?」
「え~、そんな簡単なことで幸せになれるわけないでしょ!」
と疑いながらも、どーしても幸せになりたかった私は
「本当かどうか確かめてみよう」とやってみることに。
最初は慣れてないので、なかなかできず。
でも、やると決めたことをやらないと気が済まない私は寝る前に
「私は幸せです、今日もありがとうございます。」
と言って寝ることを続けました。
そして10日くらいたったころから、
「私は幸せ。温かい布団で寝むれる」
「私は幸せ。布団から起き上がれる体力がある」
「私は幸せ。目がみえる、耳が聞こえる」
「私は幸せ。おいしいと感じられる味覚がある」
・・・・・
出てくるようになりました。
それから今では、寝る前の習慣になってます。。
そして
幸せになったかどうか?
「幸せにはなれない」ってわかりました。
「幸せである」と気づいている自分がいるだけです。